宝物殿
宝物殿内
白蛇(寺宝)
江戸時代の名棟梁、左甚五郎作の白蛇です。当山では古来よりご本尊軍荼利明王の化身として信仰されてきました。
親鸞聖人像
時の住職宥尊大僧都は、上総介廣常の孫で二郎尭常と称し18歳で発心し、先代住職寂蓮法印により得度を受けました。寂蓮法印は当時顕密の頭領として関東に名を轟かせた徳の高い僧でありましたが、縁浅く宥尊僧都は親鸞聖人の巡錫に遇い、親鸞聖人の流派に属しました。時に元仁元年・1224年6月17日、親鸞聖人と宥尊僧都は大変親しい間柄であったので、聖人は当山に香花供養の誠を捧げて17日間の修行を励み、薬師如来・軍荼利明王の両本尊に巡拝するとともに、念仏三昧の祈念を怠りませんでした。この様ないきさつから52歳のご自身の像を刻み、後に当山に奉安した御影像であります。
金板経(千手経)
朝鮮半島の妙香山にある普賢寺の石塔より発見された金板です。金板経は大韓民国の国宝としてソウルの国立博物館に伝えられている。我が国の国立博物館の研究者及び学界の定説によると、往時の「護国仏教」に基づいて国泰民安を祈願して五重石塔に奉じ納められたものである。金板経の発見は極々稀であり、また幾多の戦火をくぐり韓国の寺社などから、わずかに発見されたものである。そして桃山時代に我が国に渡来されたと伝えられた。比叡山延暦寺にも伝来されています。金板経は法句と財物を兼ね備えて功徳無量の物であり、これを造成した往時の仏子、そしてこれを蔵する仏子の総てに最上の福楽がもたらされることを信じてやまない。
仁王の面
大正6年9月30日の台風によって仁王門が倒壊しました。その後、仁王門再建のため金剛力士像も解体修理をしたところ、体内よりこの面が出てきました。寺伝によれば運慶作とのことです。
毛 綱
宝永5年(1708)本堂再建の時、棟上げに使用した毛綱です。女性信徒が再建にあたり女性の命でもある髪の毛でなった綱を奉納しました。数万人の髪の毛が使用されています。現存の長さは30メートルあります。
その他
- 弘法大師像 高野山より御自刻
- 大町桂月遺品
- 本尊 薬師如来・軍荼利明王(7分の1御尊像)
- 薬師十二神将(鎌倉時代)
- 中国武士俑(2200年前の地下軍団秦始皇帝の兵馬俑と同様)
- 徳川家奉納品