鹿野山神野寺
公式サイト

鹿野山 神野寺は推古天皇六年(五九八)、聖徳太子によって日本で4番目に開かれた、関東最古の名刹(古寺)であり、関東三大修験道(鹿野山、筑波山『茨城』、榛名山『群馬』)の一山であります。

本堂・両本尊(県指定文化財・宝永5年建造)

鹿野山神野寺

           

本堂内陣(大厨子)

本堂外陣

本堂正面入り口

本堂裏庭園からの全体

鹿野山 神野寺 本堂について

本堂は、高さ21メートル・間口・奥行きともに10間(10間堂)ある大堂です。柱、直径53センチ、重層入母屋造りで、建物全体は朱塗りで、内陣・外陣に分けられています。内陣は格天井で、一面に蓮の絵が描かれています。その中心には、目を奪うばかりの大厨子があります。外陣の天井に描かれている天女は、狩野探信(探幽の長男)の筆で、後扉の四天王(持国天・広目天・増長天・多聞天)は狩野元信の筆であります。本堂内陣の大厨子の中には、聖徳太子一刀三礼仏である本尊の薬師如来と軍荼利明王(共に高さ3.6メートル)の二尊がひとつの厨子に並列して安置されており全国でも珍しい。両ご本尊は秘仏の為、12年に一度寅年のみの1ヶ月間開扉します。また、毎年2月3日の節分会お護摩奉修中に、特別開扉(約30分間)されます。薬師如来は、女性的な温和な顔立ちです。軍荼利明王は手足に小蛇を巻きつけ、顔は見るものを怖れおののかせる忿怒の形相です。この像の脚部に少し焼けた跡があります。これは、神野寺が天慶(934~947)以来、何度か火災にあったことを物語るものであります。 諸堂伽藍(各御堂)へ戻る
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